タイムライン②紹介状

乳がんかもしれない…

紹介状をもらって、より精密な検査(針生検)を大学病院で受けなければ…

 

早く…早く…

 

気持ちが焦る。

 

どこの病院がいいか調べる時間ももどかしく(いやいやこれまで全くそんなこと、1mmも考えたことなかったし)、まずは診察してくれた女医先生の●●大学病院にしようと決めた。

 

自宅からも会社からも通院しやすいし。

 

週明け、とにかく診察予約だけでも入れようと大学病院に電話をいれたが、紹介状がないと予約もできないといわれる。

 

これまで病院とは縁のない生活だったので、そういうことにとことん疎い。

 

仕事の合間に、急いで検診した病院に紹介状作成を依頼。

 

大学病院の電話予約締め切りは16時30分。

 

16時30分ぎりぎりに紹介状ができあがり、予約をすることができた。

 

すぐに診察してもらえるものだと思ったら、予約は4日後。

 

急いでいる自分に、4日後は遠い…遠すぎる…

 

じれったい、もどかしい、はがゆい、ふあん、きょうふ…

 

の待ち時間でした。

 

…と思ったら、そのあともさらなる…

 

じれったい、もどかしい、はがゆい、ふあん、きょうふ…の日々が続くのですね。

 

 

タイムライン①検診

■2021.3/12 会社の健康診断。

オプションでマンモとエコー。

マンモ補助担当の看護師さん、エコーの女医先生、診察の女医先生の様子で悟る。

診察で大学病院紹介の話が出る。

 

エコーでしこりが映っていた。

 

診察の女医先生「1.9センチぐらいかな…」「針生検して調べた方がいいですね…」「乳腺外科(乳腺科?)のある大学病院を紹介します…ご希望どこでも」

 

やばい…やばい…そうきたか…やっぱりか…

 

どこに行ったらいいのかなんかわからない…。

 

診察してくれている女医先生は、検診の為にこの病院に週1で来ているだけで、いつもは●●大学病院の先生とのこと。

 

いい。そこでいい。そちらを紹介してもらおう…

 

とりあえず撤退。

 

なんだろう…病院から外に出た時、世界は美しいんだと思った。

 

何の面白味もない見慣れた庶民の商店街、行き交う人々、空の下吸い込む空気、きれいだと思った。

 

これまでにない感覚だった。

 

自転車を漕いで会社に戻った。

 

 

2センチ

ひとつ前の記事を書いたあとも、

乳がんについていろいろ検索した。

 

前の記事を書いていた時は、

針生検をしたら、「良性」と出るかもしれない。

と期待をしたりしていたけれど、

自分の年齢的にも、症状的にも、

それはほぼ可能性のないことだと知る。

 

「悪性」の可能性が高いこと。

そう時間ととともに覚悟しつつある。

 

良性という結果をあきらめたらいけない、

だから、「悪性覚悟」なんて書いたらいけない。

と思ったりもしたけれど、

自分の年齢や症状からしたら、それはちょっと、

現実から逃げ過ぎだな。

と、今は思っている。

 

エコー写真から推測したしこりは2センチ。

 

触るとはっきりわかるしこり。

 

1年ぐらい前から

なんとなく気になっている腰の痛み(違和感)。

 

寝違えたかな…と思うようにしていたけれど、

それは転移の症状かも。

 

自分がこんな記事を書くなんてね。

 

3日前には思ってもいなかった。

 

 

 

 

 

、、

しこり

blogで生活記録を残す為、

9月にこちらで再始動したものの、

半年放置。

 

自分あるある。

 

けれども、

記録をつけざるを得なくなった。

つける場所が必要になった。

 

身体の不安から。

 

これまで大病も持病も慢性的な痛みもなく、

どちらかといえばかなりな健康体。

 

でも、この間、健康診断で(正確にはエコー検査で)胸にしこりが見つかり、

今度、針生検というのを受けてみることにした。

 

健康診断を受けた病院に、

紹介状を書いてもらい、大学病院の乳腺外科に行ってくる。

 

悪い結果であれば、

いろいろと整理が必要で、お金の心配もあるし、

今は、気分的にかなりきつい。

 

 

 

「その時の自分の気持ちを忠実に書く」

「その時の自分の気持ちを忠実に書く」

 

前ブログ同様です。

 

 

記事の内容はバラバラ。

 

前後の脈絡もバラバラ。

 

自分が話した(書いた)思いに一貫性もなく

矛盾も多い。

 

「です」「ます」の敬体も、

「だ」「である」の常体も、

統一なし。

 

ただただ

その時の思いのまま書きつけていきます。

 

10年 

前のブログを確認したところ、

最初の記事は、2009年8月でした。

 

約11年。

 

40代だった自分も、

今は50代です。

 

 

きりよく、まぁ10年ということにして。

 

この10年の間に、

 

経済的な問題で、夫と購入した「自宅を売却」

 

義母(姑)との「裁判」

 

自分の就職

 

息子の「不登校

 

と、経験しました。

 

裁判の時が一番きつかったような気がします。

 

自殺を考えるようなことはありませんでしたが、

「明日があるのがつらい。」と思う毎日がありました。

 

そんな時に支えになっていたのが、

「ブログを書く」という行為でした。

 

書くことで気持ちを整理しました。

 

周囲の同世代の主婦層ブログを見ると、

自分らしい丁寧な生活をブログにしている人が多くて、

羨ましく、憧れましたが、

自分が書きたい気持ちになる時は、

プラスの時ではなくて、圧倒的にマイナスの時でした。

 

楽しいことよりも、

愚痴ばかり吐き出していたので、

「毒吐きブログ」と称していました。

 

このブログも、同じです。

 

備忘録を中心に、

不安や心配事が大きくなった時ほど

更新が増えると思います。

 

宜しくお願い致します。

 

汚部屋

自分を語るに「汚部屋」なくしては語れない。

 

約10年前に、前のブログを書き始めたきっかけは

「汚部屋」でした。

 

お金もなく、

いろいろ良くないことが起こり、

どうやら金運と片付けとは関係があるらしい。

 

生活を立て直せるなら

汚部屋を脱出したい。

本気で片づけをはじめよう。

 

他の人の片付けブログや、

人生リセット的なブログに触発されてブログを書き始めました。

 

で、結果どうなったか。

 

変わりません。

 

汚部屋のままです。

 

相変らずお金に困っており、

間近に迫っている老後のことまで考えられないその日暮らしです。

 

汚部屋をどうしても片付けられない。

 

この10年進歩なし。

 

その間、断捨離ブームが起きたり、

最近ではミニマリストだのシンプリストだの、

そいういったVlogも見て、

一生懸命真似てみようと思うのですが、

続くことがない。

 

私がネットをしていると、

「貧乏人の家に物が多い理由」的な

広告がしょっちゅう表示されます。

 

まったくもってその通り!

と、目にする度に思っています。

 

前のブログでも、

何度か「汚部屋と片付けの様子をアップして…」と、

記事にしてみましたが、続いたためしがない。

 

はじめるぞ!的な記事をアップしてはそのまんま。

 

「汚部屋片付け」については、

何度も「やるやる」と言って「やらない」

もはやオオカミ少年

 

過去をさかのぼれば、こどもの頃から

自分は汚部屋と戦っていました。

 

小物が好きで、すぐに買ってしまう。

 

買えば飽きる。

 

服も鞄も然り。

 

その辺のことも、前のブログで書いています。

 

この新しくはじめたブログでも、

「汚部屋」との戦いは続くでしょう。

 

常に私の負け戦。

 

「汚部屋」は私のアイデンティティ

 

そんなの嫌だけれど、

確実に私の深いところに根差してる。

 

ここを根こそぎやっつけられたら、

新しい世界が私を待っている。

 

それは間違いない。