MRI
■4/6(火)13:30~ MRI
午前中出勤してからの病院。
10:00以降の食事はNGだった為、昼抜き。
人生初のMRI。
この日も、注射あり。
注射器を刺したまま、そしてその注射器を握ったままMRIの部屋へ移動をするとか、
年一の健康診断採血でさえ、覚悟を決めて向かい合っている私からしたら罰ゲームすぎる…
MRIは、音の大きさや閉所なのが怖い、という情報を事前に得ていたけれど、まぁ、私にはそこは大丈夫だった。
軽音楽(歌詞なしのJ-POPだった)の流れるヘッドホンを装着。
MRIの作動音は、ヘッドホンをしていても遠くから聞こえてくる工事現場の音のようだった。
乳がん(胸)の検査が主な目的なので、検査台ではうつぶせ。
(うつぶせになって、検査台に空いた穴から胸を出す)
さらに寝ようと思って(少しでも休みをとろうと思って)、目もつぶっていたので、周囲の状態は全く見なかった。
よって、閉所の恐怖もなし。
(閉所恐怖症ではないので、仰向けでも、目を開けていても、大丈夫だったとは思う。)
所要時間は、20~30分だったか…。
音が大きくて眠れなかったけど、だいぶリラックスしていた。
「これから造影剤を入れますので、少し熱くなります~」みたいな説明が聞こえたきて、「何のことだろう?」と思うのと同時に、全身に細くめぐるように熱が流れるのをを感じ、「あ、このことか」と思った。
自分の身体中を何かがめぐる。初めての経験で、覚せい剤とか?麻薬とか?そういうのって、こんな感じなのかな…と思った。
検査が終わり、ようやっと昼ご飯。
どの店もほぼランチタイムは終わっていたので、懐かしき「ロッテリア」へ。
約600円のチーズーバーガーセットでほっと一息。
タイムライン⑥骨シンチ
■3/31(水) 骨シンチ、CT
前夜9時以降の飲食禁止。(水分はOK)
骨シンチの為の検査液(?)を体内に流し込む為、午前中に病院へ。
11:00に注射で流し込み。
それから14:40まで、体内に検査液?が巡るまで待機。
水分をいっぱいとるように言われていたので、
ペットボトルの水を飲み飲み、
ほぼ病院のロビーで時間をつぶす。
病院の周囲には、たくさん飲食店があり、
お腹がすきまくった状態なのに、
食事をとるわけにもいかないので、
外に出ての散歩はつらいだけ。
と、思っていたけれど、さすがに3時間以上ロビーのソファにいるのはきつくなって、ラスト40分は、外に出た。
瑞々しい新緑の街路樹をまぶしく感じながら、
今後、ランチのできそうなお店をチェック。
食い意地は変わらず。
今この記事を書いているのは、4/22で、
この日のことは20日ほど前のことになるわけだけれど、
びっくりするほど、もう記憶が薄くなっている…
骨シンチの検査液を入れるための注射はどうだったか…
その痛みはどれぐらいだったのか…
注射が恐怖でしかないので、採血にさえびびりまくっているため、
骨シンチの注射も、今となっては、採血の時の痛み程度にしか思い出せない。
順序としては…
骨シンチ区域(?)で、
私より少し若いぐらいの女性(看護師さん?)に励まされながら、注射を打ってもらったんだっけかな。
そこで、14時40分にまた戻ってくるように言われたような…。
14時40分に戻り、骨シンチ装置のベッドに横たわり撮影。
室内のあかりもそのままで、開放的な室内。その中の普通の診察台に寝転んでいた感じ。
撮影をしている男性技師さん2名も、私に背を向けてモニターを見ながら、
普通に会話をしており、確かそんな感じで、なんの緊張感のない検査だったように思う。
基本、ずっと目をつぶっているので、機械がどんな動きをしているのかもまったくわからなかった。
どんなものなのか見てやろう…。という好奇心は、もはやない。
できるだけ今の現実から目をそらしたい。
そんな感じ。
以降、どの検査も、検査中に目を開けていたことはない。
(骨シンチは、骨に癌の転移がないか調べる検査である。)
タイムライン④告知
■3/29(月) 9:30 診察
針生検の結果。
先生が、困ったような顔をしながら(作りながら)
「この間の針生検の結果なんですけどぉ…悪い方だったのぉ…」
(先生、若い女医さんです。私よりたぶん30歳近く年下です。)
もう、悪性という結果は覚悟していましたからね、
期待したり望みをもったりするような状況はなかったので。
針生検をする前のエコーで、ギザギザした、角もあるような腫瘍の形を私も見ていましたから。
(あとでネットで検索したら、ほぼ見本のような悪性の腫瘍の形でした。)
それでも、幾分落ち込んだのは、
「あぁ…やっぱりかぁ~」という、逃げ場のなくなった事実に、いよいよ向かいあわなければならなくなったことがはっきりしたからです。
ただ、もうネットで調べまくった結果、
癌イコール必ずしも「余命」宣告ではないこと。
乱暴な言い方をすれば、百人百様の寿命の一つでしかないこと。
なので、
「あ~やっぱり乳がんでしたかぁ~。そうですかぁ…。」という感じで受け止めました。
自分が「癌かもしれない!」と、はじめて思った時よりは、全然ショックが小さかったです。
10日間②ググルググル。
会社の健康診断当日に乳がん疑いとなってから、針生検の結果を聞くまで。
乳がんについて徹底的にググル。
&乳がん経験者のブログや動画、乳がん関係のサイトをネットで漁りまくる。
今まではあまり気にしていなかった体のあちこちの小さな痛みも、「これは癌転移では!」と恐怖の震源。びびりまくる。
お金の心配。うちはマイナス家計。常にお金の心配があり、これが一番のストレスで癌になったのでは?と思っているぐらい…。
癌と診断されてからのお金についても調べまくった。
自分が癌になるなんて思ってもいなかったし、慢性的に家計の余裕がないので癌保険にも入っていなかった…
本当にお金のことが一番の心配となり、夜も眠れないほどだった…。
お金についてはまた別記事にしようと思う。
ということで、10日間の間に、一気に乳がんについて詳しくなった。
もちろん、それでもまだまだわからないことあるけれど、癌についての入り口は一通り調べつくした。
10日間
生検結果までの約10日間。
情緒が一番不安定だったと思う。
震災やコロナを引き合いに出すと不謹慎な気がするけれど、正直、自分が癌になるなんて、(この時はまだ結果がわかっていなかったけれど)震災やコロナの世の中を想像しえなかった以上に思ってもいなかったことだった。
いや…自分の胸にある違和感に数年前から気が付いていたわけだし、なんとなくそこに嫌な予感もあったわけだけど、自分はタフだと思っていたし、癌家系でもないし(←現在も父は癌とつきあっているのに、なぜかそうでないと思っていた)、まさか自分が癌になるなんて、ひつこく書くけど、思ってもいなかった。
なのに、ある日の健診を境に、突然、自分自身への常識がひっくり返った。
正式な結果が出る前だったけれど、ほぼ良性を期待する自分はおらず、無意識レベルで乳がんである自分を受け入れようとしていたように思う。
そこで、情緒が激しくぶれた。
そんな10日間だったように思う。
まだ1か月も前のことでもないのに、その間にいろいろ進みすぎて、なんだかもううまく思い出せなくなっている。
タイムライン③針生検
■3/18(木)9時30分予約
大学病院まで 自宅からドアツードアで1時間足らず。
地下鉄1回乗り換え。
近所、というほどではないけれど、まずまず近くて良かった。
ほぼ初めての大学病院。
自分がかかる大学病院。
どの先生になるかわからず行ったけれど、
結果、検診の時の女医先生に診てもらうことになった。
(紹介状が女医先生の名前になっていた。)
先日の検診をふまえ、今日は改めてエコーとマンモのあと、針生検をすることに。
事前に「針生検痛い」とネットで見ていたので、病院嫌い、注射も一大事の自分にとっては、恐怖でしかない。
血液をとる注射にさえびびりまくってんのに…。
診察台に横たわりいよいよ針生検
まず乳房に打つ麻酔注射…。痛い~( ;∀;)痛い痛い痛い~( ;∀;)
そして今日の本丸。
「ちょっと大きな音がしますが…」…コワいっ!
「3回やりますね~」…ひぃっ…(T_T)(T_T)(T_T)
説明してもらわない方が良いかも~説明されると想像して恐怖が増し増しになってくる( ;∀;)
「あ~やめてくれ…なんでこんなことになっているんだろう…」
常に頭の中にぐるぐるしていて、時には実際に口に出していた。
”バチン!” 1回目
(そんな音だったかは良く覚えていないけどイメージ)
先生「大丈夫ですか~?」
痛いには痛いけど、
思っていたほどじゃなくて、ちょっと安堵して
「大丈夫です…(ハァ…ハァ…)」
”バチン!” 2回目
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
2回目が悶絶するほど痛かった~(T_T)(T_T)(T_T)!!!
身体がくの字になり、のたうつほど痛かった~(T_T)(T_T)(T_T)
息が整うまで、しばらく先生に待ってもらう。
麻酔を増やしてもらい3回目。
”バチン!”
3回目はほぼ無痛。
2回目はなんだったんだろう…。
いやいや…ホントできるならもう二度としたくない…
今回の針生検の結果は約10日後。